朝比奈隆年譜 [1908年~1946年]


1908(明治41)年 00歳
・7月9日、東京・牛込の小島家の三男として誕生。
・生後すぐ朝比奈林之助・秀子夫妻のもとに養子として入籍。
・小児喘息療養のため神奈川の国府津(現小田原市)に転地し、国府津小学校、小田原町立第三小学校、東京・麻布尋常小学校を経て、小学4年の頃に、青山師範付属小学校に通う。
1922(大正11)年 14歳
・東京高等学校尋常科(中等部)2年に編入学。
1923(大正12)年 15歳
・養父・朝比奈林之助、死去。
・祖母より買い与えられたヴァイオリンを始める。
1924(大正13)年 16歳
・養母・朝比奈秀子、死去。
・自身の出生の事実を知り、生家の小島家で暮らし始める。
・サッカー部に入部する。
1925(大正14)年 17歳
・東京高等学校普通科(高等部)文科乙類(ドイツ語専修)に進学。
・日露交歓交響管弦楽演奏会(近衛秀麿・山田耕筰指揮)を鑑賞。
1927(昭和2)年 19歳
・メッテルが指揮する新交響楽団を聴き、感銘を受ける。
1928(昭和3)年 20歳
・国民交響管弦楽団第1回演奏会でヴァイオリン奏者として参加。
・京都帝国大学法学部入学。
・京大オーケストラに入部し、メッテルに指揮を師事。
1930(昭和5)年 22歳
・鉄道省への就職を目指して高等文官試験を受験するも不合格。
1931(昭和6)年 23歳
・京都帝国大学法学部を卒業。
・阪神急行(現阪急電鉄)に入社。
1933(昭和8)年 25歳
・阪神急行(現阪急電鉄)を退社。
・京都帝国大学文学部哲学科に学士入学。
・本格的にプロの音楽家を志す。
・伊達三郎らと大阪室内楽協会を設立。
1934(昭和9)年 26歳
・大阪音楽学校(現大阪音大)の語学講師となる。
1936(昭和11)年 28歳
・大阪音楽学校管弦楽団で初めて指揮。
・大阪中央放送局(現JOBK)木曜会の指揮者に就任。
1937(昭和12)年 29歳
・大阪音楽学校の教授に就任。
・ビゼーの「カルメン」で初めてオペラを指揮。
・京大交響楽団の第5代常任指揮者に就任。
1939(昭和14)年 31歳
・宝塚交響楽団を指揮して大阪デビュー。
1940(昭和15)年 32歳
・新交響楽団(現N響)を指揮して東京デビューを果たす。
・第1回国民歌劇でチマッティの「細川ガラシャ夫人」を指揮。
・京都帝国大学学歌を録音。(朝比奈の初録音)
1941(昭和16)年 33歳
・町子夫人と結婚。
1942(昭和17)年 34歳
・大阪音楽学校教授を退官。
・大阪中央放送局の専属指揮者に就任。
・大阪放送交響楽団第1回発表演奏会を指揮。
・伊達三郎(Vc)・東貞一(Pf)らと大阪三重奏団を結成。
1943(昭和18)年 35歳
・長男、千足誕生。
・深井史郎の「ジャワの唄声」を世界初演。
・大阪中央公会堂で「出陣学徒壮行大音楽会」を指揮。
・上海交響楽団の常任指揮者に就任。
1944(昭和19)年 36歳
・深井史郎「ジャワの唄声」のレコード発売。
・新京交響楽団、ハルビン交響楽団を指揮。
・朝日会館で信時潔の「海道東征」を指揮。
1945(昭和20)年 37歳
・全満合同交響楽団を指揮して満州各地で演奏。
・ハルビンで「運命」練習中に玉音放送を聞き終戦を迎える。
・林元植のもとで町子・千足と共に難民生活を送る。
1946(昭和21)年 38歳
・町子、千足と共に無事帰国を果たす。


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